一般財団法人武井報效会百耕資料館

円山派
長沢芦雪 長沢芦雪は、応門の十哲(応挙の最も優れた10人の弟子)の一人。名は正勝、魚。字は氷計、引裾。別号は于緝。山城淀藩士上杉和左衛門の子として生まれました。京に出て画を円山応挙に学びましたが、師の堅牢な写実から次第に脱却し、若くして奔放な独自の画風を確立した点では、円山派中異色の画家といえます。南紀に遊歴し、串本の無量寺、富田の草堂寺など多くの障壁画を遺しました。寛政2年(1790)の御所造営では、御涼所上御間を担当する大役を果たし、寛政7年の大乗寺障壁画制作でも一室を任され「群猿図」を描きましたが、45歳の若さで大坂で客死しました。
円山応挙 円山応挙は、姓は藤原のち源。字は仲選。通称は主水。初期には一嘯・夏雲・仙嶺などの号がありましたが、明和3年(1766)応挙と改めました。丹波穴太村(現京都府亀岡市)の農家に生まれ、10代で京都に出て狩野派の画家石田幽汀に画を学びました。また中国の古画から西洋の画法まで独自に研究を重ね、しだいに写実を基本とした自然観照を画面に定着させる新画風「写生画」を確立しました。門人は非常に多く、その流れは円山派を形成しました。寛政2年(1790)の御所造営に一門を率いて障壁画制作にあたったのを始め、妙法院(京都市東山区)、金刀比羅宮(香川県琴平市)、大乗寺(兵庫県香美町)などに障壁画を遺しています。

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2024年度春季企画展案内

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