一般財団法人武井報效会百耕資料館

森派
森狙仙 森狙仙は、名は守象。字は叔牙。号は如寒斎、霊明庵。さらに初め祖仙と号しましたが、文化4年(1807)に狙仙に改めました。大坂の画家森如閑斎の三男で、兄の陽信・周峰も画家。兄とともに初め父に画の手ほどきを受けたのち、狩野派の技法を学びましたが、それにあきたらず、新しい時代の風潮として応挙に通じる写実適描写を試み、動物画に本領を発揮、特に猿の画を得意としたことで知られます(なお、狙山の「狙」は猿のことで、彼が猿の画を得意としたことにより、「寛政の三博士」の一人として知られる儒者柴野栗山の勧めでこの名に改めた)。狙山のあとを養子の徹山が継ぎ、その後一鳳、寛斎らへと続き、この流れが森派と呼ばれます。
森徹山 森徹山は、名は守真、字は子玄または子真。通称文蔵。号は徹山。大坂の人。動物画の名手として知られた森狙山の兄でやはり画家の森周峰の子で、狙山の養子となりました。絵を実父周峰・義父狙山に学んだのち、円山応挙に師事しました。応門の十哲の一人。寛政7年(1795)の大乗寺障壁画制作には一門で最も若い21歳で参加し、長沢芦雪の「群猿図」の上の小壁を飾る「山雀図」を描いています。なお、徹山の妻ゑんは京都の仏師・田中弘教利常の娘でしたが、ゑんの姉・幸は円山応瑞(応挙の長男)の妻となっています。また、徹山自身は終生大坂で過ごしましたが、弟子の森寛斎を養子にして京都に住まわせ、円山派の画系を継がせるなど、徹山は応挙以後も円山家・円山派と深い関係にありました。

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2023年度秋季企画展案内

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