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呉春は俗姓は松村氏。名を豊昌。通称を文蔵、嘉左衛門。京都金座役人の出身で、はじめ大西酔月に師事、その後与謝蕪村に入門し俳諧と画を学び、特に画で優れた作品を生み出しました。俳号を月渓、画号は可転、孫石、存允白などを用いましたが、天明元年(1781)12月、摂津池田(現大阪府池田市)に移り住み、翌2年正月にこの地にちなみ呉春と改めました。蕪村の没後、円山応挙門に入り、応挙の写生画法に蕪村由来の洒落な文芸趣味を加えて情趣化した作品で世評を集めました。晩年京都四条富小路に住み、多くの弟子を輩出したことから、呉春に始まる流れを四条派を呼びます。 |